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マンクスが日本にくるまで奮戦記! 百瀬 正香

このテキストは、レア・シープ研究会創設者のひとり、百瀬正香さんが遺した、マンクス・ロフタンが日本にくるまでの経緯を記した貴重な記録です。
レア・シープ研究会会報「レターズ」1998年8月発行・No.20に掲載されたものです。

マンクスが日本にくるまで奮戦記! 百瀬 正香

 今回から、レア研がマンクスの実験牧場を持ったのを機会に、マンクスが日本に入ってきた経緯を、紙面が許す範囲でお知らせしたいと思います。それと同時にこの奮戦記が、「羊選別を自分でしたい」という今思えば無謀のようなことを、可能にしてくださった協力者、当時ケンブリッジの動物生理学の教授、ジューエル氏が今年5月になくなられた、その追悼の記ともなればと思っています。  「日本に変わった羊を入れたいネ」という話しが私の回りでボツボツと出始めたのは 1986年頃からだと記憶します。いわゆる多種類のレア・シープを目の当たりにし、転地がひっくり返るほどの驚きを日本の羊仲間に熱っぽく話しているうちに、『そんな変り種を日本に入れたい』などという話しが出てくるようになったのです。ところがレア・シープといわれ、英国で保護されている羊を日本に導入するには「種の保存』という責任もありますし、導入後の羊の活用の仕方も考えなくてはなりません。それなりの覚悟が必要です。ネコの子を隣からもらうというほど単純な訳には行きません。半永久的な繁殖計画と、維持を考えるなら、5系統の雄と15等の雌が必要です。ということは5ヵ所、或いは5人の飼育者が名乗り出なければこの計画は進まないということです。時間的にはこの段階が一番手間取りました。話しが出て2年以上も掛かって5ヵ所が決まり、はじめてイギリスのレア・ブリード・サバイバル・トラスト(以後RBSTと表記)へ羊導入の件を申し出たのです。
マンクス・ロフタン もちろん初めからレア・シープをマンクスと考えていたわけではありません。RBSTが日本の気候風土、飼育管理の安易さで挙げた3種類のうちにマンクスが入っていたのです。その時点で、角の多さ、ウールカラーの豊富さなどから迷わずこのマンクスを選びなした。後で分かったことですが、ちょうど英国でもこの時期にマンクスロフタンシープ・ブリーダーズグループ(以後MLSBGと表記)が発足されたのだそうです。その当時英国で登録繁殖羊が700頭、オリジナルのマン島で600頭しかいない、本当に小さなフロックでした。(現在でも、英国で登録繁殖羊900頭)その当時マン島と英国間ではマンクス・シープに関して交流がありませんでしたから、残念ながらマン島から日本に羊は出せないということで、英国中の数少ない中から20頭を選別しなければなりませんでした。これは初めのうち気にもしないことでしたが、後々その数字が選択の大きなネックとなってきました。というのもMLSBGのメンバー全員が羊を日本に出していいというわけではなく、提供者15名、牧場数11の中から選ばなくてはならなかったからです。そのためにももう一年待って、90年生まれを中心に選別することを考えた方が選択圏が広がると勧められました。その理屈は通っていましたのでそうすることにしましたが、問題は誰が羊を選別するかでした。日本にせっかく入れる羊の選別は業者に任せぱなしにしたくないし、すれば莫大なお金も掛かります。マンクスなどまだ数頭しか見たこともない、まして全く知識も皆無という私が、直接自分で見て決めたいと、大それたことを考え始めたのもそんな事からでした。でもさすが少々心配で、工藤さんに一緒に行ってもらうことを頼んでみました。工藤さんも喜んでその計画をたてたのですが結局は休みの関係でこの『グッド・アイデア!』もつぶれ、全くのひとりとなってしまったのです。無効の動物輸出業者は親切に11か所の牧場のアドレスと簡単な地図を送ってはくれました。「羊のチョイス・ツアーを協力しましょう。」と、前出のジューエル教授でした。彼は1973年に絶滅していく家畜種が増えることを憂いて、その保護のためRSBTを発足させた6名のうちの一人でした。教授は思いも掛けないことに、選別のための用紙まで手作りで用意して持っていてくださり、90年の6月24日から7月2日まで、私たちの冒険ともいえるべき『チョイス・ツアー』が始まったのです。
マンクス・ロフタン 車と汽車で3000キロのツアーでした。毎朝早くから夜まで12時間以上掛かって1日2か所の牧場を見るのがやっとでした。ある時汽車で行こうと朝4時起きで出発、なのにあのイギリス名物の『列車の遅れ』で真夜中過ぎにケンブリッジに戻ってきたということもありました。私はそれ以来決して英国で旅をするとき汽車に乗らないことにしています。どんなに遠く、ましてハイランドに行くようなときでさえ車を借りて自分で運転するか、飛行機、船を利用します。そのほうが列車で遅れてイライラするより数倍健康にいいですから。でもこの『チョイス・ツアー』は大変なことばかりではありませんでした。
各牧場でお昼を御馳走になりながら、あるいはお茶を一緒にしながらイギリス農家の生活、マンクス飼育のアドバイスを聞く機会となったからです。また後日スクレイピー問題が起きた時も、どのような牧場でどの様に飼育されていたフロックだったのかを知っているだけに、自信が持て、慌てることもありませんでした。
 選別の仕方は、まず暫く全体の群れを遠目から見て、気になる個体を見付けたら選り分けていき、個体別チェックをするという方法でした。教授は私がスピナーであることからウールに興味があるだろうと、ウールのカラー、質で気になる個体をチェックさせてくださいました。それから教授自身が全体をチェックしてから顔、角、脚の色、形、歯の形などメモっていきます。こんな風にして全部で64頭の羊を見て歩き、その中で第一候補20頭、リザーブ10頭を押えました。全部で30頭です。これでお分かりのように見て歩いた全頭数の半分を選び出さなくてはいけなかったのです。これはかなり厳しい選択でした。全部の羊が顔の色がきれいで、角も形もよく2本或いは4本生えているわけではないのですから。そのうえ血統の問題もあります。なるべく血の繋がりのないものを選ばなくてはなりません。リザーブを含めた30頭の羊の過去4代に亘る血統書を取り寄せ、そこでまたチェックです。
 そうこうしているうち、MLSBGのメンバーの中で、日本にマンクスを大量に出すことへの問題を指摘する人たちが出始めました。そして諮問会が持たれることになったのです。その会はRBST、MLSBGの各事務長、秘書、動物輸出業者、教授そして私、総勢6名で行われました。英語を得意としない私を心配した教授は、その前日ケンブリッジで動物学を研究している日本女性のところに私を連れて行き、予行練習をしました。どんなことを聞かれると思うか、どう答えるつもりかなど。でも実際には私の英語力の貧しさが幸いして、突っ込んだ話ができず好意的なうちにこの関門も通過しました。彼等が一番心配していたことは日本に行ってから繁殖計画が旨くいかず、純潔維持ができなくなって、自分たちがここまで大きくしてきたフロックがまた離散してしまったらどうしようということでした。ですから条件として毎年出産をRSBTに申請し、フロック・ブックに登録する、ということが出てきたわけです。こちらも初めからそのつもりでしたから結果的には問題はありませんでした。このRSBTへの登録は現在まで続けていますが、ご存じのように日本綿羊協会が従来以外の種の血統証明を受け付けることになったのを機会に、日本全頭のマンクスの1部だけをRBSTへ登録しようと考えています。RBSTもそれを一つの発展として喜び、認めてくださっています。
マンクス・ロフタン  さていよいよ出荷となると具体的な検疫検査が始まります。国が定めた項目を一つ一つクリアしていかなくてはなりません。獣医なら誰でもできるというわけではなく各州の認定医しか資格がないのだそうです。そういう事を知らず2度も同じ検査をする羽目になった人が出たり、出荷日が決まってながら許可証が届かなかったり、動物輸出入業者の髪の毛がグレーになってしまった、と、後で述べたほどのゴタゴタが起こってしまったようです。国が定めた病気のチェックは15にも及びその中には『過去5年間スクレイピーの痕跡が認められない事』という項目もありました。検査後に、各牧場から集められた20頭の羊は15日間検疫牧場で隔離飼育され、出荷24時間以内には、さらに数種類の病気の検査をし、それから飛行機に積み込まれました。それは90年9月11日のことで、日本についたのは翌12日でした。飛行機の中で何があったのかオス1頭の4本角が3本になっている以外全員無事に到着しました。その後、日本でも同じ様に検疫所に15日間繋留され9月27日に各牧場に輸送されたのです。
 長い長いマンクス導入の旅でした。

 

マンクス・ロフタン

 

マンクス・ロフタンとはバイキングの言葉で「小さな茶色い奴」といいます

日本にきたマンクスその1 百瀬正香

 その日90年9月27日、まかいの牧場から見る富士山は微かに暮れ初め、裾野を海まで引いたシルエットはマンクスを心から歓迎している気持ちそのままに、私たちを落ち着かせてくれます。
 間違いのないよう首に大きな木の番号札をぶら下げられ、トラックから降りてくる姿は一見時代劇の囚人さながらのようですが、まぎれもなくあのマンクスたちです。とうとうやって来ました。私たちにとってはたった3ヶ月ぶりの再会ですが、その事務の煩雑さが、ながい、なが~い月日のように思われ、妙になっかしく、旧知の友に会う心境そのものでした。
マンクス・ロフタン

  思い返してみれば、すべてが始めての私にとって、このマンクス輸入の顛末は綱渡りそのものでした。野澤組の太田氏が一つ一つ丁寧にアドバイスして下さらなかったら実現には程遠かったと思われます。動物検疫所に届出るのは輸入の3ヶ月前、なのに、その時はまだ英国でマンクスをチョイスしているときでしたし、更にその時点では農水省から輸入申請の許可さえ下りていませんでした。マンクスが日本に来るのはそれこそ英国の検疫関係で9月と決まっていましたから、日本の動物検疫所の場所は確保しておかなくてはなりません。農水省が実際に許可を出したのは2ヶ月前の7月10日でした。そこでもう一つの問題が起こりました。日本では個体が上陸する前に、その個体の行き先を申告しておかなくてはならないそうです。そのため血統の偏りを少しでも少なくするため、急いで20頭分の3代前迄の血統表を英国から取り寄せなくてはならなくなりました。この件について英国の動物輸入業者は後に次のようにレポートしてます。・・・・各個体の過去3世代に亘る血統系図を羊の出荷に先立って日本に送ることが出荷条件であった。『大丈夫、我々のコンピーターは最終番号が分かれば2~3秒でこれを作成することができる。』とトラストの記録担当者は報告した。おお!ナント、日本で生まれ育ったこと疑いないこの哀れな機械は出荷3週間前に電子頭脳が故障し、どんなに熱心に操作しても重要な書類を作成するため機械を修理することができなかった。一時的にタイプで打った書類を作ってみたが時が余りに遅すぎたので羊より先に日本に着くような至急便は無かった。ところが、もう一つの日本製品がその危機を救ってくれた。すべての書類はテレックスで東京に送られたのだ。でも回線の接続が悪く2回も送らなくてはならなかった・・・・・・。
 あの時の英国、野澤組、私の3者の間でのハラハラする電話のやり取りは今でも脳裏に焼きついて離れません。でもとにかく書類は手に入りました。血統範囲が決して広くない20頭ではありますが、それを少しでも近交弊害の少ない個体同士がセットされるよう5ヵ所に分けていただくことを八巻先生にお願いしました。
  その間にも1頭、熱を出して急遽リザーブと換えるというアクシデントも起こりました。そして9月10日、ついに飛行機に荷積みされ、11日日本に到着したのです。それから15日の繋留を経て27日皆の待つ3ヶ所(5人)にオス1頭、メス3頭という組み合わせで引き渡されました。
  
  
  北海道女満別 本間さん
  静岡県裾野市 富士サファリパーク
  静岡県富士宮市 まかいの牧場、本庄さん、百瀬
  本庄さんは1年のちには岩手県二戸郡に連れていきました。
  
  個体の価格を日本のと比較してもあまり意味がありませんが、一応記録として幾つかをここに書き記しておきます。
  
  オスの最高値 £210(56,000円)*当時£1は266.82円
  オスの最下値 £110(30,000円)
  オスの平均値 £162(43,000円)
  メスの最高値 £135(36,000円)
  メスの最下値 £80(21,000円)
  メスの平均値 £106(28,000円)
  
 それに飛行機代、テスト代、検疫中の飼料代・管理費、国内輸送費、保険、税金等をプラスすると全20頭で総額5,887,709円となり、少々乱暴な計算になりますが1頭あたり30万円ということになりました。
 それぞれ引き取られていった牧場からは180cmの牧柵を脱柵してしまった。毎朝頭突きをするせいか柱が壊れてしまって直すのに往生している。角が邪魔して今までの草架では餌が食べられないので手を加えた。等、身の縮む思いの報告が入ってきましたが、初対面は概ね良好で、人の余り手の加えられていない原種に近い羊の、生命(いのち)の強さに感じ入ったようでした。
 時差ぼけがあったのか、無かったのか、ともかくどの群れも、日本にきて一か月程で多いところで3頭少ないところで1頭の交配があり、次の春には真っ黒な子羊が全体で11頭も生まれました。その中には白い紋様をもった子が1頭いましたが、(そのうち2組が双子)2週間以内に3頭死んでしまいました。

     

マンクス・ロフタン

     

マンクス・ロフタンの故郷はカンブリアの真西に位置するマン島です

日本にきたマンクスその2 百瀬正香

 マンクスが日本に導入され7か月が経ちました。羊にとってかなりのストレスだったと思いますが、出産率73%という成績で日本で始めての出産も無事終わり、有角種の毛刈りもどうにか終え、これから、心にあたためてきたことをゆっくり、少しずつスタートさせなくてはと、強く思い始めてきたときでもありました。
 日本の現在の羊もある意味でレアなら、マンクスも当然レアです。そのレア同士で、羊と人との関わりを、稀少羊種マンクスの保護問題に絡ませながら、地道にしっかり研究する場、レア・シープ研究会を発足させたいという思いです。91年5月31日、日本綿羊協会の会議室をお借りして、稲葉紀雄、工藤悟、国政二郎、正田陽一、八巻邦次各氏においでいただき、『レア・シープ(稀少羊種)研究会』の必要性を説き、御賛同をいただいた上で、会の発起人になっていただきました。ただ将来、未来開拓者協働会議とレア研がお互いに関わっていくだろうことを想定し、簡単な関係も組み立ててみました。
 実際の会の呼び掛けは7月滝川で行われる『羊コミュニケーション』の時がよいだろうということになり、正式な会の発足、活動は年を改めた92年がよいのではないかと、具体的なことが段々出来上がってきました。
 そのとき、今は無き稲葉さんが、英国のサイエンス・ジャーナルに帯広大の品川先生が、『スクレイピ感染有無の早期発見』に成功したという記事が出ていたことを教えてくださいました。
マンクス・ロフタン 唯一家畜を輸入するにあたって最大の注意を払わなくてはならないのは病気です。それも伝染性の強いもの、特に病原や治療法が確立していないスクレイピは、群れの中で1頭でもかかればその群れ全部を処分しなくてはならないほど怖いものです。英国でも国外に出すときの病気のチェックリストにはもちろん『過去5年間スクレイピの痕跡が認められないこと』という項目が入っていますから、幾らかは安心ですが、英国はスクレイピ汚染度のかなり高い国だといわれています。そこから20頭の羊を導入したわけですから心配する人達がいても不思議はありませんし、私も心配していない訳ではありませんでした。でも、英国でレア・シープを飼育している人たちは、産業としてよりホビーとして、また保護保存すべき使命感として飼育している人達がほとんどですから牧場の管理も行き届いています。実際それらの牧場を見ていない人たちにその安全性を説得するのは難しいのですが、そうだからと言ってスクレイピに対してフリーだと言う保障は何もありません。と同時に、スクレイピ自体がどの様な病気なのか、英国から羊を導入した私たち自身がそれをしっかり知る必要があります。  7月滝川で開かれた『羊コミュニケーション』ではレア・シープに関するコーナーをいろいろ作って下さり、そこに所狭しと『レア・シープ(稀少羊種)研究会』の趣意書を置かせてもらいました。なかなか評判が良く、その場で会員になって下さる方が多くいらしたのには驚きましたが、それと共に責任をも強く感じ、気分の高揚した数日間でした。
 まず当座第一の責任は、前に述べた通り、スクレイピ問題です。この問題をうやむやにしておく訳にはいきません。『羊コミュニケーション』の後、帯広に真直ぐ向かい品川先生にスクレイピのお話しを伺うことにしました。そのお話は素晴らしく、スライドや表を使いながら分かりやすく、たった一人のため3時間に及ぶ講義をして下さったのです。それは一人のためとか、百人のためというものではない、一つのことを追求し、それを理解してもらおうとする熱意さ故なのだと心から感じ入りました。それと同時に先生が東京に出ていらっしゃるときには是非レア研の皆にこの話をしていただきたいという思いで一杯になりました。そして、9月先生のご厚意でそれが実現したのです。スクレイピはどの様な病気なのか、現在分かっていること、そして分かっていないこと、そこから改めて恐ろしい病気であることを認識したと同時に、漠然とした無知からくる恐怖心からも開放された気がしました。品川先生は、羊を生体で英国から入れた危険性を厳しく指摘なさいましたが、もうすでに入れてしまったこと、その対策をどうするのかの方が重大です。先生のアドバイスをいただきながら、この会としては、

・5年間マンクスを他の群れへ移動させない。
・後産はすべて焼却処分にする。

ということに決めました。まだ正式には発足していない会の勉強会でしたので、カンパで皆の気持ちを現そうと箱を回しましたが、先生はそれを固辞なさり、正田先生の御提案で特別会員になっていただくことになりました。
 5年間マンクスを移動させないということは、スクレイピ対策に於いて現在でき得る最善な方法ですが、繁殖の方から考えると少々問題も起きてきます。英国でレア・シープとして保護されている羊なのですから、日本に於いても出来る限り増やしていきたいという思いがありますし、実際各飼育者は一生懸命増やしてきました。90年、日本に導入した当時、英国では繁殖羊が700頭、現在1500頭となっています。日本では15頭の繁殖羊から出発し現在77頭に増えました。ただ5年間オスの移動ができませんでしたから、群れが偏り始めてきたのが問題です。今のうちならどうにか是正できるかもしれません。正田先生を中心にこの問題に取り掛かり始めました。
 話が前後しますが、数少ない羊を偏りなく維持していくには、精液の保存が欠かせません。レア研としてもマンクスの精液はちゃんと保存しておきたいと、日本に導入する前から思ってきました。ちょうどそんな時の、91年1月、農水省の十勝育種牧場で『羊の精液採取及び凍結保存』という講習会が行われました。八巻先生と工藤さんに出席していただき、その年の10月北海道を抜かした4ヵ所で精液採取に成功しました。それを東北大学の先生の研究室に保管させていただいていたのですが、途中管理がうまくいかず全滅してしまいました。そのこと自体とても残念なことですが、大きな教訓ともなりました。

 

マンクス・ロフタン

 

角は2本から4本、時には6本角のマンクス・ロフタンもいます

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