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羊なくして聖書は語れない

聖書には羊が400回以上登場します。
それは単なる動物の話ではなく、人類の歴史と救いの計画を象徴する大切な鍵だからです。 
このページでは、聖書と羊の関係をたどりながら分かりやすく解説します

1 羊の始まり|エデンの園と神の覆い
聖書で最初に羊が登場するのは、アダムとエバ(イブ)が罪を犯し、裸を恥じたとき。
彼らはイチジクの葉で体を覆いましたが、神は彼らのために羊を屠り、羊の毛皮を与えました。
この時、初めて命が失われ、人の罪を覆うためにいけにえとしての血と命がささげられたのです。

2 カインとアベル|受け入れられるささげもの
アダムとエバの息子たち、カインとアベルは神にささげものをしました。
・カイン:地の作物
・アベル:最良の羊の初子

神に受け入れられたのは、アベルの羊のささげものでした。
なぜか?・・・それは血による償いと信仰がそこにあったからです。

3 ノアの箱舟と「きよい動物」
洪水前にノアが箱舟に連れて行った動物たちはペアのオス・メス2匹でしたが、羊などの「きよい動物」は7つがいずつ連れて行かれました。
羊は、聖書的に清く神に喜ばれる家畜なのです。



4 ダビデ王とナタン|羊と人の心の物語

預言者ナタンが語ったたとえ話:
「ある貧しい男は、たった1匹のメスの羊を娘のように可愛がっていた。その羊を、裕福な男が奪って料理してしまった。」

これを聞いたダビデ王は激怒。
しかしナタンは言います:「その男はあなたです。

ダビデは自らの罪を悔い、神の許しを乞うのです。

5 イエス・キリスト|神の子羊

洗礼者ヨハネは、イエスをこう紹介しました:
「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」

イエスは、まさに旧約聖書から続く「いけにえの羊」の成就です。
傷のない、罪なき者が、他者の罪のために屠られる。
この償いによって、私たちは神との関係を回復します。

6 イザヤの預言と十字架の沈黙

「毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない」


イエスの十字架の姿は、イザヤ書で預言されていました。
神の子羊であるイエスは、すべての人の罪を背負い、黙して死に臨みました。


7 過越の祭りとイースター
過越の祭り(ペサハ)は、神がエジプトに下した災いを、子羊の血によって「過ぎ越す」出来事を記念します。
・ 血を家の門柱に塗る
・ 子羊の肉を家族で食べる
そして翌日、パン種(イースト)を入れないパンと苦菜を急いで食べ、エジプトを脱出した、イスラエル人が奴隷から解放されたことを祝う祭りです。

過越の祭りは、春の祭りです。時期はちょうどイースターとかぶります。

そしてまさに、イエス・キリストが十字架につけられたのは、過越の子羊が屠られるその日でした。

8 信仰の証

「羊は、人と寄り添うように創造された家畜と思います。群れで落ち着く性質も、孤独時に人に近づく性質も、すべてが他の生き物と異なります。」

毛刈りの間じっとしている羊の姿に、イザヤ書の言葉が重なります。

漢字の「義」は、「我」の上に「羊」が乗っています。
これは、「神の子羊によって、自分の罪が覆われ正しい者とされる」という福音の中心を示す象徴的な文字です。


9 最後に
神の目から見て私たち人間も羊のようなものです。
愚かで群れていないと不安になり、目の前のものばかりに振り回され、迷子になり、臆病です。
聖書では、、政治家と民、親と子ども、といった社会構造の基本が、羊飼いと羊の関係にたとえて書いてあるとおもいます。
モーセやダビデも、民を導く前に羊飼いとしての時を過ごしました。

実際に羊を飼うことが、人を導くリーダーとしての訓練になっていた・・・そんな原則が、聖書の物語にさりげなく織り込まれているのはとても興味深いことですね。