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    東京牧場 代表 中川 利光

    東京牧場株式会社
    代表取締役 中川利光 Nakagawa Toshimitsu
    1961年12月15日 横浜生まれ 妻 実子3人
    血液型O型
    趣味 ピアノ クレー射撃 こどもと遊ぶ
    目標 社会(人)の役に立つこと
    仕事 株式会社テクニカル他 関連企業相談役 Instagram
    Linkedin English

    略歴:

    高校生の時、一人暮らしを始める。高校三年 隣家の出火で実家が全焼。片付けに明け暮れ出席日数不足からの中退確定を、横浜市立高校の特別配慮で卒業。

    父親の鉄工所で造船を手伝い、コンピュー夕を知り導入する。南極観測船しらせ(5002)のハッチ製作で活躍し、コンピュータ事業の可能性を感じた父親から「起業」を勧められ1984年に100万円を出資してもらい、株式会社テクニカルを設立。ソフトウェア開発から、ハードウェア設計・ファームウェア開発へと拡大

    頸椎損傷した上村数洋さんの人生をサポートする機器開発を、畠山卓朗さんより相談され、ボランティアで受ける。1年後に完成した装置が全国紙でとりあげられ、コンピュータ開発の依頼が増える。

    1989年 北海道より企業誘致を受け、白糠町に工場を建設。

    2011年 50歳の誕生日に「人生の残り時間」に気づき一念発起、東京都檜原村に「こどもたちの居場所」を作ろうと決意し、重機やダンプを購入し山の開拓をはじめる。(東京牧場会社案内)

    2021年 横浜こども食堂 年間1万食を提供 寄付された不耕作地を開拓しボランティアで「米」づくり

    目指していること:自給率100%

    東京牧場を実家と思ってくれるこどもたちが増え、笑顔が溢れる社会にすること。そのために「育成衣食住」を充実させる。

    ももふねプロジェクトをはじめた理由

    横浜こども食堂 ももふねプロジェクトの始まり
    友達が筋ジストロフィー(指定難病113)となり、何かできないかと考えていたら、彼は「他の人を助けて」と言う。畠山卓郎先生から電話があり、頸椎損傷で首下が麻痺となった上村数洋さんをコンピュータ介助できる装置の開発に着手 呼吸をスイッチとして寝たきりでも絵が描けるようになる。

    差別してはならない
    私の祖父(母方)は、両手がありませんでした。手首から先が丸くなっているのです。
    小さい時から見ていたので、両手がない人でも私は何とも思いませんでした。ただ、一般の方々からは今思えば差別みたいなものを感じていました。
    その感覚があったからこそ、差別に対する問題意識を持っていました。
    祖父は本当に優しく、私がカタツムリが好きだと知ると、こどもの私も驚くほどのカタツムリを、いっぱいにとって、水槽に入れておいてくれました。その優しい祖父が両手を無くした原因を聞いたことがあります。

    戦争は絶対にやってはならない。
    祖父は吉原で漬物屋をやっていたそうですが、東京大空襲の時に祖父と祖母はそれぞれに、こどもたちの手を引いて逃げ、千住のロータリーで右と左に分かれてしまったそうです。祖父は私の母の手を引いて逃げ、祖母は妹の手を引いて反対側に逃げ亡くなったとの事です。
    戦後、祖父は身を粉にして働いていた時、裁断機で両手を落としてしまったとの事です。
    私の母は自分の手を引いて逃げた祖父の手のかわりになればと介護をし、祖父は自分の手が、祖母や妹の手を引けなかった事を悩んでいたと聞きます。そして、今の日本も多くの犠牲により成り立っていることをひと時も忘れてはならず、また今現在も、世界では戦争が続いている現状を考えなければなりません。

    社会のため役立つ人になる

    私の祖父(父方)は、愛媛県川之石に生まれ紡績機械の設計と製造をしていました、横浜で機械製造をする命を高名な方より受け、横浜に会社を設立し紡績機の製造を開始しました。
    私が小学生のころ、毎月1日だったと思うが、岡島さんというお坊さんが神棚や仏壇を拝みにきた後に、祖父が夕食を振舞い、私もその席に座りお坊さんと一緒にご飯を食べる事がよくありました。
    今、思えばその時に、いろいろな説教をうけていたと思い、その言葉が自分の人格形成にも大きく影響しているのだと思います。

    会社と道徳
    祖父が、川之石から横浜で起業する機会を与えて頂いた方は、かなりの方で「社会に役立つ」という事はもちろん「道徳」というものを強く言われたそうです。

    そして、私が物心ついた時には、お坊さんが毎月自宅に来てお経をあげ、その夜はお坊さんと一緒に夕食をとることが決まっていました。
    私も、祖父とお坊さんの横に座り食事をしていたのですが、お坊さんは私にいろいろな話をしてくれていました。
    今でも心に残っているお坊さんの話はいくつもあります。改めて書き出してみたいと思います。

    つづく

    ●ももふねって? よく子どもに聞かれますが、私が小学生の頃に歌わされていた「横浜市歌(作詞  森鴎外) 」の一節で「今はもも船もも千船」という歌詞から来ています。

    とし坊日記

    西多摩新聞で2019.5.24から連載していた「とし坊日記」をアップしました。これまでの事、これからの事 綴っていきます。(自分の名前が、としみつだから、とし坊って呼ばれてます)

    東京牧場音頭(東京牧場テーマソング)

    東京牧場を設立した思いを込めて、自分で作詞・作曲しました。PVでは、若見匠流日本舞踊師範のしもでまりこさんの全面協力で素敵な舞にして頂きました。

    東京牧場音頭(東京牧場テーマソング)

    その他 活動内容

    庭園デザイナーとして景観設計

    日本園芸協会 認定 庭園デザイナー 中川 利光

    大学研究室に在籍中

    町おこしで、酒製品の開発サポート
     商品企画のコンサルティングで実績を認められる
     
    日本に未だ発見されていない「菌」の可能性を感じ、地方創生EXPOで「菌ハンター」を提案。各地の菌採取を行い、商品開発のコンサルタントとしてだけでなく、踏み込んだアライアンスを行う。

    大学研究室に在籍しプロジェクトを推進

    オープンセミナーや、大学での講義

    地方創生EXPO 「菌ハンター」による地域おこし
    東京農工大学 羊に関する公園

    東京都立産業技術大学院大学(産技大 AiiT)
    東京都が設置した社会人が学びやすい大学であり、実践的な学びの学修体制。東京都檜原村を地方再生のモデルとして限界集落(過疎地)の再生をテーマにした講座。
    受講生の皆様は檜原村の実習を通して、各チームに分かれて地方創生プランを提案。
    特別講師として、大学院大学で東京牧場の事業に至る経緯から事業構想を講義

    ベルギー大使館

    駐日ベルギー大使館 ベルギー大使館に訪問。 「マネケン・ピス」は、ベルギー・ブリュッセル中心部にある、裸の小さな男の子が小便をしている姿を模した銅製の噴水彫刻です。その存在は15世紀半ばから証明されて…

    ミミズ繁殖

    みみず繁殖 「森の匂い」は、みみずの糞尿?世界の土は、みみずが中心となり作ったのか? 土の帝王 ミミズ 「土の帝王」という表現を聞いたことはありますか? この「土の帝王」とは一般的にミミズを指します。…

    「美」の由来は羊

    美は、羊と大きいの漢字で構成 麻布大学獣医学部の教授と「羊」を食べていた時、大きい羊が美という字になったとお聞きした。また、羊という字が入る漢字は、相当な数があるとの事で、古来から「羊」の存在は人間に…

    エドウィン ダン記念館

    エドウィン ダン記念館 北海道畜産業に貢献したエドウィン ダン エドウィン・ダン(Edwin Dun)は、明治時代の近代化プロセス中に北海道開拓使によって「お雇い外国人」として雇われ、日本政府に近代的…

    口伝口承は心に刻まれる物語

    口伝口承は、こどもたちの心に残る こどもの時に聞いた話は、どんなシーンで語られたものでしょうか? 布団に入って母が読む絵本? たき火や暖炉の前での話? 私は印象深く思い出される話は、回りの情景や語り手…

    商工高等学校からの寄付

    商工高等学校からの寄付 新しい寄付のあり方として、「一粒万倍プロジェクト」の賛同者が増えています。 その中で、神奈川県立商工高等学校は、本プロジェクト初期から一粒万倍の考え方が、農業・工業・商業そして…