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第2回「高校三年生」

    第2回「高校三年生」―高校生ひとり暮らしと実家全焼!―

    檜原村で、羊を飼っている。とし坊です。 5月に開催した丸焼きバーベキューには、100人以上が集まりありがとうございました。さて、この連載が始まり昔を振り返ると、本当に手が付けられない子ども時代だったと今更ながらに思いました。横浜に住んでいた小学生時代から、やんちゃを繰り返し、高校では自立をしたいと親の許可を得て学校の近くに、六畳一間のアパートを借りました。喫茶店でアルバイトをし、雨の日は通学が面倒で学校を休み、真夜中に海が見たくなれば、バイクを飛ばすなど、当時いわゆるワルといわれるような日々でした。今思い出しても、トンデモナイ高校生活でしたが。最高の時期でした。ただ、困っている人を放っておけずイジメなどは絶対にやりませんでした。高校三年生のとき、実家が隣家の延焼で、全焼し、その日から後片付けや、建て直しの準備に3か月近く学校を休みました。退学届持参で学校に行くと、今まで校内での悪行の数々に、「次こそ退学処分!」と言っていた校長先生ら教職員が、卒業に配慮してくれるというのです。

    家に戻り、卒業後は事業を始める事を母に伝えると、今まで頼み事をしない母が、父の会社を手伝って欲しいというのです。父からはそんな話は一度も出たことがありませんでしたが、親孝行と思い父が経営する鉄工所に入社しました。元々は、祖父の地元に誕生した日本最大の紡績会社(東洋紡)の機械製造協力のため、横浜に拠点を移す事となり、昭和元年に愛媛県の山林等を売って、横浜に来ましたが、戦後は造船がブームとなり、実家の鉄工所はいくつもの工場を抱えていました。入社してみると、最初の仕事は、昼間は溶接や機械加工、それを4トントラックで配達して、夜は図面から材料を算出して、計算するというトンデモナイきつい仕事が始まったのです。

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