カテゴリー: 寄付ストーリー

  • 名前のない一粒

    名前のない一粒

    名前のない一粒

    金曜日の、夕方でした

    横浜市西区、東京牧場の横浜レストランの厨房は、 金曜日の夕方がいちばん忙しくなります。こども食堂の日だからです。以前は、お店にこどもたちが集まって食べる形でした。 けれど今は、デリバリー形式に変わりました。

    ”お店まで来られない家庭にも届けたい。 おうちで、ゆっくり食べてほしい。”

    そう考えた結果です。だから金曜日の夕方、レストランの裏口には 配達のドライバーさんが次々とやってきます。その日も、いつもと同じはずでした。

    「これ、なんのお店なんですか?」

    Uber Eatsの配達に来た、ひとりのドライバーさん。保温バッグを肩にかけて、料理を受け取って、 そのまま出ていくはずでした。でも、その日はたまたま 厨房が少しだけ立て込んでいて、待ち時間ができました。なんとなく生まれた、数分の空白。

    「これ、なんのお店なんですか?」

    スタッフに、そう聞いたそうです。こども食堂の料理であること。 お米は、三重県の水田でつくっていること。 ボランティアのみんなで、田植えから収穫までやっていること。話しはじめると、意外と長くなりました。

    一粒が万倍になる

    「一粒万倍(いちりゅうまんばい)」という言葉があります。

    ”一粒の籾(もみ)が、万倍にも実る。”

    もともとは、農業から生まれたことわざです。 小さな種が、やがて数えきれないほどの糧になる。

    東京牧場のこども食堂は、この考え方でできています。ふつう、こども食堂は いただいた寄付で食材を買って、こどもたちに出します。東京牧場は、そうしません。寄付でまず、種を買います。それを田んぼに播いて、育てて、収穫して、 増えたお米を、こどもたちが食べる。そして、その一部をまた種として残す。三重の鈴鹿にある水田では、 10kgの種籾から、1000kgのお米ができます。

    100倍です。

    1万円の寄付でお米を買えば、それは1万円分で終わります。 でも1万円で種を買えば、翌年には100万円分の食卓になる。こども食堂で必要な食材を、すべて自分たちでつくる。 「こども食堂自給率100%」を目指しています。寄付だけに頼るこども食堂から、抜け出すために。

    なぜ横浜だったのか

    「そもそも、どうして横浜でこども食堂を?」

    ドライバーさんは、そう続けたそうです。東京牧場のはじまりは、 「こどもたちが生きやすい場所をつくりたい」という一点でした。

    横浜のレストランは、こども食堂のためのキッチンでもあります。 管理栄養士と料理人が、こどもたちの体をつくる食事を考える場所。「体は、食べたものでできている」だから、育てるところから、調理するところまで、 ぜんぶ自分たちでやる。そして、ももふねキッチンは 年間1万食を、こどもたちに届けています。その1万食のお米を、 三重の田んぼでボランティアがつくっている。――ここまで話したところで、 ドライバーさんは、しばらく黙っていたそうです。

    バイクの音が遠ざかったあとで

    料理を受け取って、バッグにおさめて、 帰りぎわに、その人はポケットから財布を出しました。そして、お金をカウンターに置きました。「これ、使ってください」配達の仕事の途中です。 稼ぎに来ている場所で、自分のお金を置いていく。スタッフは、断ろうとしました。 でも、その人はもう背を向けて、バイクに戻っていきました。

    一粒は思いがけないところから届く

    この話を、私たちは何度も思い出します。種を播いた覚えのないところから、 芽が出ることがある。こども食堂の料理を運ぶ仕事をしていた人が、 その料理の意味を知って、 自分から、次の一粒になった。一粒万倍とは、お米の話だけではありません。

    ひとりの人の考えが、次の人に伝わって、 その人がまた誰かに伝えて、広がっていく。東京牧場が「一粒万倍」と呼んでいるのは、 そういう広がり方のことでもあります。

    あなたの一粒はどこで芽を出すでしょうか

    東京牧場のこども食堂は、 たくさんのボランティアと、支援してくださる方に支えられています。田植えをしてくださる方。 収穫を手伝ってくださる方。 使っていない農地を貸してくださった方。そして、名前も告げずに お金を置いていってくださった、あの日の配達員さん。

    あなたの一粒も、加えていただけませんか。

    いただいたご支援は、種苗の購入と こども食堂の運営にあてさせていただきます。一粒のお米が万倍になるように、 あなたの寄付も、何倍にもなって こどもたちの食卓に並びます。

  • 彼女の最後の望み

    彼女の最後の望み

    彼女の最後の望み

    彼女の最後の望み

    「きっと妹も、こどもたちと一緒に畑仕事をして、収穫して。 そして一緒に料理して、みんなで楽しく食べたかったんでしょうね」

    涙ながらにそう話してくれた女性を、私は今も忘れられません。 その方の妹さんを、明美さんといいます。私は、明美さんに会ったことがありません。 それでも、この物語をここに書き残しておきたいと思いました。

    封筒

    明美さんは幼いころから、入退院をくりかえす少女でした。 友達と呼べる友達も、いなかったと聞きます。二人姉妹の、妹でした。 両親が忙しかったぶん、お姉さんが明美さんの面倒をよく見ていたそうです。二十歳を過ぎたころ、病状はさらに悪くなり、 長くは生きられないことを、家族は知らされました。

    ある秋の夕暮れ。 めずらしく体調のよかった明美さんに、お姉さんが病室で聞きました。

    「今度のクリスマスのプレゼント、何がいい?」

    明美さんはにっこり笑って、「お願いがある」と、一通の封筒を手渡しました。お姉さんが開けようとすると、明美さんが怒ったそうです。

    「絶対、開けちゃだめ」

    「じゃあ、いつならいいの?」

    「そのうち」

    そう答えると、明美さんはお姉さんのほうを見て、こう言いました。

    「クリスマスには、お金が欲しい」

    驚いたお姉さんが「何に使うの?」と聞くと、 明美さんは「ないしょ」と言って、二人で大笑いしたそうです。その日を境に、明美さんの体調は、どんどん悪くなっていきました。

    クリスマスの朝

    ある朝、病院から緊急の呼び出しがありました。

    「明美!」

    お姉さんの呼びかけに、明美さんはうっすらと目を開け、 何かを言おうとして、そのまま亡くなりました。葬儀が終わっても、お姉さんは放心したままだったといいます。

    手紙のことを思い出したのは、クリスマスの朝でした。急いで封を開けると、そこには姉への感謝と、お別れの言葉が、 何ページにもわたって書かれていました。明美さんは、自分の死期が近いことを知って、あの手紙を書いていたのです。お姉さんは、涙がとまらなくなりました。

    クリスマスの朝

    それから一年後。

    東京牧場が運営する横浜こども食堂に、お姉さんからメールが届きました。来社されたお姉さんが見せてくれたのが、明美さんの通帳です。おこづかいを少しずつ貯めた記録が、何冊にも積み重なっていました。 一行、また一行。 入院と退院をくりかえした年月が、そのまま数字になって並んでいます。

    そして最後のページ。 クリスマスの日に、大きな金額が記されていました。手紙は、こう結ばれていたそうです。

    自分は病気だったけれど、ご飯に不自由したことはなかった。 けれども、日本にもご飯を食べられないこどもたちがいることを、テレビで知った。 自分が亡くなったら、これまで貯めたお金を、こども食堂に寄付してほしい。

    お姉さんはいくつものこども食堂を訪ね、 「一粒を増やしながら食べる」という私たちの考え方に、深く共感してくださいました。そして、冒頭のあの言葉を、涙ながらに話してくださったのです。

    そのお金は、いま

    明美さんのお金が届いてはじめての春、畑に種を蒔きました。

    夏、こどもたちが自分の手で収穫しました。土のついたままの野菜を、そのまま調理場へ運んでいく子がいました。明美さんが蒔いた一粒は、いま、こどもたちの手で育てられています。

    一粒でいいのです

    明美さんのようにはできない。そう思われたかもしれません。けれど、明美さんが遺したのは、お金ではなかったと思うのです。

    通帳に残っていたのは、 少しずつ、少しずつ、という時間でした。だから、一粒でいいのです。その一粒が万倍になるまで育てることが、私たちの仕事ですから。

    東京牧場は、多くのサポーターに支えられています。

    ボランティア、寄付、いろいろなかたちで、 東京牧場の想いを知り、賛同してくださった方々。 見返りを求めない善意が、少しずつ、けれど確かに広がっています。

    その方々の多くが、自分の名前をHPに出すことさえ控えてほしい、と言われます。

    「人が人に何かをしたいと思うのは、当然のことですから」

    明美さんも、きっと同じだったのだと思います。